さむがりがさむいところへ

スウェーデン北部にある小さな町、ウメオに1年留学をすることになったので、日々の写真とマンガ日記と思ったことメモと教育実習日誌

3月13日 グループワークのひとり言

このところ、平日は毎日のように健康心理学の授業でグループワークがあります。
いよいよプレゼンが明日に迫ったので、今日はグループ学習室を予約してそこで練習することになりました。
とれた部屋は、未だ足を踏み入れたことのない医学部図書館のなか。大学病院の横についている医学部棟に入るのも初めてなので、たいへん興奮しました。
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物珍しかったので写真をぱしゃぱしゃ撮っていたら、日本人の友達に「観光客みたいだね」と言われてしまいました。

そうそう、今季の日本人留学生で女子は私とその子だけなのですけど。
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幸運が重なって、なんと授業の5人グループで一緒になれました。他3人のメンバーはスウェーデン人なので、一緒にいるときはもちろん英語を話します。
でも、隣に日本人がいるという安心感があると、ついついちょっとした発見や愚痴を日本語でつぶやいてしまうんですよね。そういうの気をつけようって留学来た当初はピリピリしていたけれど、最近気が緩んできてしまっています。よくない。
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ちょっと引かれちゃったかなと少し心配したけれど
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トルケちゃんはわかってくれた。


朝の8時から11時過ぎまで、パワーポイントづくりとプレゼンの練習をしました。

さて。
スマホとはいえようやくキーボードで思うように書けるようになったので、最近ずーっともやもやっとしていることを少し。
愚痴は吐きすぎたくないけど。でもやっぱり、日々の心境記録としても心の健康のためにも(まさに授業内容だし!)、ぐだぐだメモしておきます。


グループワークは好きでした。学芸大でも、こっちにきてからでも。
それが最近は、ちょっと憂鬱です。論文2つを読んで中身を比較し、短いレポートとプレゼンを共同で行います。特段難しいというわけでもないのに。
嫌というほどではないけれど、あんまり楽しくないのです。

英語でのディスカッションに慣れてきたから?あまり自分の知識が多くない分野だから?
理由はいくつか考えられるけれど。
やっぱりいちばんは、その効率の悪さにイライラがつのってしまうからだと思います。

たまたま、今回のグループの仲間が細かいところまで突きつめる人や知的好奇心が旺盛な人たちだったというだけなのかもしれないけれど。
授業中のグループディスカッションでも、先月の教育の授業のワークショップでも、前の学期の別のメンバーとのグループワークでも、ぼんやりと思っていたこと。

彼らとは、根本的に時間のの感覚が違う。

スウェーデン人は」とか「彼らは」とかいう言葉使いたくないのです。ひとくくりにしてしまいたくないと思って日々気をつけているのに、それでもやっぱり思ってしまうときがあります。
今回もそうです。

時間の感覚。
時間の使い方、ひとつの授業に使う時間と労力の感覚、効率性の重視非重視とでもいえるでしょうか。

例えば、今回のグループワークでいえば、1時から6時近くまでみんなで作業をしたことがありました。それ以外でも、基本的には毎日のように長時間がんばります。

でも私には、それで進む作業量がその時間に見合うだけのものとは思えませんでした。90分から2時間おきに休憩をとっていたとはいえ、正直、非効率だなってイライラしてしまっていました。

原則的にいちどにひとつの教科、部活やサークルも基本はなしというスウェーデンの大学の制度に加え、(これはとくに北の田舎ウメオだからなのかもしれませんが)現地生であってもバイトをしている人はごくわずかです。
つまり、時間がたっぷりあります。
その気になれば、毎日朝から晩までひとつの授業のためだけに時間を使うことだって可能なのです。

毎日異なる授業に部活にバイトに遊びに多忙な学芸の大学生とどちらが良い悪いという話ではありません。
ただただ、感覚がぜんぜん違うな、とひしひし感じるだけです。

待ち合わせへの正確さも、作業の進め方も、時間がたっぷりあることを前提にしているんだなって思います。
終了時刻を決めずに延々と話し合い続けることは、私の知っているやり方では「よくない例」の代表だけれど、もしかしたらここの文化ではごく普通だという可能性だってあります。



分担すると、文章やパワーポイントに統一性がなくなるから。
と、グループの仲間たちは言います。

イントロダクションの言い回しを考える、とある情報の出典を探す、パワポの挿絵の色を修正する。
それって5人全員ですること?

「じゃあそれはひとりがやってる間に、他で次のスライドみておかない?」
思い切って口に出すときが、3割ぐらい。
あとは、言えない。

ディスカッション、なんだか論点ずれてきてない?それは昨日も話してない?同じところに何十分留まってる?
思っても、やっぱり言えない。

だって実際、「彼ら」はちゃんと論文を理解しきれていない私なんかの何十倍も努力して、時間をつかってさらなる参考文献を読み、関連ポッドキャストを聞いているんです。
そうなると私は、ただただ早く課題を終わらせたいだけなのかもしれないなという気もします。
それなりに一生懸命授業に取り組んでいる気でいたけれど、実際には効率とかいって適当にこなしているだけだったんだなあと。基礎知識だけでなく努力量でも丁寧さでも、他のみんなの足元にも及ばない。

そしたらやっぱり、言えないじゃないですか。
そもそもディスカッションやグループの「正しい」やり方や文化そのもの自体が違うのかもだし。効率よくっていうのは私ひとりのエゴなんだし。


うーん。

そんなことを思いながら、
やっぱりもやもや。



うだうだと長くなってしまいました。
まあたまには自分に正直に。
溜まった愚痴の発散です。