なにしにいくの?③
よく聞かれることを、自分のなかでもはっきりさせましょう企画。
こんなに長編になるとは。
最初から読むときはこちら↓
- <済>日本語以外の目がほしい
- 異文化理解を教える先生になるには、まず自分が異文化理解
- <済>『日本から見た英語』だけじゃなく「他言語の国から見た英語』も知りたい
- 他の国で教育実習って最高じゃない?
- 一度ホームシックになるくらい、遠いところでがんばる力をつけたい
- 英語の先生になるんだから、やっぱ英語力!
- 「ずっと、少数派」になる経験をしておきたい
ひとつ戻って、2番いきます。
よく考えたらこれは独り言だから、無理にさらっと書こうとしなくていいのかもしれません。
2.異文化理解を教える先生になるには、
まず自分が異文化理解
私の受けてきた英語の授業のなかで(ほかの教科でも取り上げられますが)、異文化理解というのは大きな部分を占めていました。
もしかしたら気づかないだけで、小学校のときからそのような授業はあったのかもしれません。
「自分の文化は、当たり前じゃない」
「世界には、いろいろな文化がある」
「それぞれを理解し、尊重すること」
抽象的にも、具体的にも、そういった言葉を何度も何度も教わりました。
だから、自分でもできているつもりでした。
授業を真面目に受けて、先生の話もよく聞いて、知識も蓄えて、意見文だって立派に書けました。
けれど、どこか言葉だけが上滑りしている気がするのです。
深く考えないうちから同じフレーズをたくさんたくさん聞きすぎて、なにも自分に響かなくなっていたように思います。
実感がわかない、というのでしょうか。
なんかそれも違うような違わないような。
あちこち海外に行かせてくれた両親、こんなこと言ってごめんなさい!
知っている。
わかっている。
理解している。つもり。
でも心の底から「ああ、そうか!そのとおりだ!!理解しないと!!!」と叫べないというか。
子どもたちに「異文化理解は大事だよ」と口で教えることはできます。
でも、そこに実感や本気がないと、やっぱりだめだと思うのです。
海外旅行でびっくりした体験など(中国、ホテルのスイートルームのトイレでさえ日本のファミレスのものに適わないと思ったとか。アメリカ、クラスの子の宗教が本当にバラバラだったとか。話のネタとしての経験自体は、たくさんさせてもらってるはずなんです。ありがとう両親)は話せるけれど、それでも私は足りない気がする。
もっと、身に痛いほど、からだの底まで浸かるほど、「異文化理解」を学びたい!
と思いました。
だって、私はそれを教えるんですから。
自分のなかに、芯がほしい。
あと、異文化理解って、「わー!みんな違うね!みんなそれぞれ良いんだね!」だけじゃないですよね。
「みんな違うね!でも、その奥になんか同じものがあるよね!」までいけたらいいなって思います。
ちょっと堅い言い方をすると、「異文化のなかの同質性」と言うらしいです。
この英語教育エッセイの中にも見つけました。
異質性とともに同質性理解も
多くの授業を見せていただく中で、「異文化理解」という言葉からくる誤解、もしくは先入観といったものを感じることがあります。
その1つが、異文化の中の「異」の部分だけが強調されているのではないかという点です。
例えば、アメリカ人とかアメリカという国について触れたときに、肌の色、髪の毛の色、目の色などの外見的な違い、ジェスチャーや表情の豊かさなどパフォーマンスの違い、そして、食べ物の好みや生活習慣の違いなど、その異なる点ばかりに目を向けさせる授業を見かけます。
その結果、子どもたちは、「日本人とアメリカ人って違うところが多い」という感想をもつようになります。金子みすヾではありませんが、その違いを「みんな違ってみんないい」と感じればまだしも、中には「私たちとは違ったヘンな人」と感じる子が出てくるのは問題です。
筆者は、「異文化」の中にある「異質性」と同時に、「異文化の中の同質性」に気づかせるということも重要だと考えます。
具体的な例がたくさん出てきてわかりやすいので、興味のある方はぜひ。
このへんは掘り下げると長くなるので、また別の機会にひとりで語ります。
そんなわけで。
ただ他国で暮らし、現地の大学に通うだけでなく、いろいろな「種類」の人と仲良くなって、摩擦でこすれるほど近くなりに、行きます。
クラスメイトや寮の仲間だけでは不十分、用務員のおじさんや、現地のスポーツクラブで知り合った奥さん、ボランティア先の小学生、いろいろな人と仲良くなりたいのです。
いろんな場所に行って所属したい。
時間とお金が許せば、いろいろな地域や国も回りたい。
知らない風習や食べ物を知るだけでなく、それを語れるほどそこに沁みてみたい。
ごちゃまぜの異文化の中で、いっぺんもまれてへばってみたい。
・・・好奇心の一種なんでしょうか、これも。
けっこう薄っぺらい理由なのかもしれません。