さむがりがさむいところへ

スウェーデン北部にある小さな町、ウメオに1年留学をすることになったので、日々の写真とマンガ日記と思ったことメモと教育実習日誌

なにしにいくの?④(完結編)

よく聞かれることを、自分のなかでもはっきりさせましょう企画

 

最初から読む場合はこちら↓

なにしにいくの?① - さむがりがさむいところへ

 

  1. 日本語以外の目がほしい<済>
  2. 異文化理解を教える先生になるには、まず自分が異文化理解<済>
  3. 『日本からみた公用語の英語』だけじゃなく「他言語の国から見た英語』も知りたい<済>
  4. 他の国で教育実習って最高じゃない?
  5. 一度ホームシックになるくらい、遠いところでがんばる力をつけたい
  6. 英語の先生になるんだから、やっぱ英語力!
  7. 「ずっと、少数派」になる経験をしておきたい

 

残りは、だいたい一行でわかりますね。

補足程度にサクサク説明だけしていきます。

 

 

4.他の国で教育実習って最高じゃない?

 留学先の大学、3週間、現地の小学校か中学校に毎日通って、教育実習がさせてもらえる留学生向けの授業があるんです。
それ目当てです。

ちなみに、大学はそれがウリの一つであるらしく、その授業目的で留学をする人もけっこういるみたいです。

 

正直、当大学の教育実習の事前事後指導さえ受けていないのに、言葉の不自由な他の地域でやらせてもらって大丈夫なんだろうか…いや、大丈夫ではない!
というのはあります。

 

ただ、タイミング的に今を逃したくなかったので。(これについてはまた、「なんで今?」の記事で書く予定です)

 

 

 

 

5.一度ホームシックになるくらい、遠いところでがんばる力をつけたい
7.「ずっと、少数派」になる経験をしておきたい

 先に言っておきますが、これまた薄っぺらい理由です。

 

端的に言えば、
「近くの他人に頼って生きていけるようになりたい」
というところでしょうか。 

 

 

とってもありがたいことに私は、生まれてからずっと、周りにとっても恵まれているのです。
ちょっとしたことでも、大きなことでも、「ねえねえ」と声をかければ、すぐに飛んできて助けてくれる人がいます。それをずっと感じています。(それで、「なにかあっても大丈夫!」と何でもすぐに突っ込んでしまう性格になったのかもしれませんが)

 

実家にいた頃も今も、困ったことは、いつも家族に相談すればなんとかしてくれました。頼れる友達や先輩がたくさんいて、悩んだときは、自分のことのように一緒に悩んでくれました。

 

でも、こんなぬくぬくした、これ以上ないような恵まれたところで育って、大人になって、そのまま先生になってしまって良いんだろうか、と時々思うことがあります。 

  

7.「ずっと、少数派」になる経験をしておきたい
も、ほとんど同じ理由です。

 

私は(あえて言葉を選ばずに言うと)健常者に生まれ、日本に日本人として日本語を話し、ずっと地元のコミュニティーのなかで生きてきました。

ちょっとクラスで浮いたりすることはあっても、基本的にずっとマジョリティーでした。

 

気をつけるようにはしているけれど、きっと私は、
何もしなくたって周りは自分の味方だ
という前提のもとに生きていると思います。

 


こういう常に「みんな、自分と同じ側」な世界しか知らなかったら、そうじゃない状況の人の気持ちを想像するのがとっても難しいと思うんです。

「誰か、私の味方なんているの?」って不安で孤独な人に、「大丈夫!誰か助けてくれるよ!」と言ったとして、それはすごく軽くて上滑りな言葉になってしまう気がします。 このままじゃ。

 

 

ということで、遠く離れたところにひとり行くことにしました。

 

助けてくれる人が最初からいるんじゃなくて、自分で見つけたり、作ったりしなくちゃいけないところ。

何もしなかったら、孤独のままなところ。


でも、自分で何か行動を起こせば近くに仲間が見つかるはず、文化や言葉が自分だけ違っても何か同じものがあるはず。

そういういろんなことを、自分の体験にしたくて行きます。

 

 

 

 6.英語の先生になるんだから、やっぱ英語力!

説明いりませんね!

 

 

 

ということで、長くなりましたが、よく聞かれることを自分のなかでもはっきりさせましょう企画

留学「なにしにいくの?」これで終わります。